Se connecter四カ月後──初夏の陽が高く、空気はすでに夏の匂いを帯び始めていた。セリーナはラスの村へ足を踏み入れる。潮風に混じって、草と土の香りがふわりと流れた。「わざわざこんな辺境まで悪かったな。」「お久しぶりです。ガットさん。」二人は自然と笑顔で向き合う。張りつめたものが溶けるような、柔らかい笑みだった。セリーナは村の景色を見渡し、胸いっぱいに空気を吸い込む。「緑がいっぱい…」すぅ……はぁ……。深呼吸すると、胸の奥が軽くなった。「皆さんの様子はどうですか?」「ああ。みんな元気にしてる。」「緑?野菜のことか。そろそろ収穫できそうだな。……俺は食わんが。」「野菜食べないとだめですよ?」ガットは気恥ずかしそうに頭をかいた。指先が髪をくしゃりと乱し、どこか照れが滲む。「……そうだな。」「このまま行くか?」「はい。今日はプリシアさんに会うために来ましたから。」「そうか。プリシアも喜ぶ。」「少し待っていてください。」セリーナは護衛の兵士たちのもとへ歩み寄り、村の入口で待機するよう落ち着いた声で命じた。兵士たちは静かに頷き、持ち場へと散っていく。二人は海沿いの道を歩きはじめた。照り返す白い砂利道が、陽に眩しく輝く。寄せては返す波音が、二人の足取りにリズムを刻む。やがて、一本の大きな木が海風に揺れる丘へ辿りつく。そこに、プリシアの墓がひっそりと立っていた。《プリシア=ローウェル、ここに眠る》「プリシアはここが好きでな。」地平線まで続く大海原。白い波が遠くで弾け、細かい光が舞い散る。ザァァ……「きれい……」セリーナは風に揺れる髪を押さえながら、そっと墓前に花束を置いた。瞳を閉じると、潮の香りと静けさが胸に染みていく。「プリシアは一日ここにいたことが
城の裏の庭園に、色とりどりの花が咲き始めていた。白や薄紅の花びらが、春風にゆらりと揺れる。「もう春でございますね。」侍女クララが柔らかく微笑む。セリーナは風にそよぐ髪を押さえながら、空を見上げた。(誘拐される前は……一年がすごく長く感じた。)(でも今は……)「一年が早く感じます。」庭園の奥、草原に広がる白い小花。その光景に、セリーナは足を止めた。(シロツメクサ……)あの時、渡せなかった花冠。言葉にできなかった想いは、季節と共にしぼんでいった。でも――今なら、もう一度編める気がする。「クララ。籠を持ってきてくれますか?」「籠ですか?」「はい。花冠を……久しぶりに作りたくなりました。」「わかりました。」(もう一度……お父様に……)セリーナはスカートの裾を軽くつまみ、白い花々の間に膝をついた。春の陽光がその髪に降り注ぎ、淡く金色の光がきらめく。手のひらでそっと茎を折り、指先で編み込んでいく。(作るのは久しぶりだけど……)淡い香りと共に、ひとつ、またひとつ。シロツメクサの輪が形になっていく。(できた……思ったより時間、かかっちゃった。)花冠を胸に抱え、セリーナは小さく息をついた。――夕刻。ナビル王私室。扉の前で、セリーナは小さく深呼吸をした。コンコン。「セリーナです。」「入れ。」重厚な扉が静かに開く。セリーナは花冠を後ろに隠し、そっと進み出た。「どうした?」「これを……お父様に……」セリーナは両手で花冠を差し出した。白い花々の間から、春の香りがふわりと漂う。「私のために作ってくれたのか?」
それから三カ月後。一月の澄んだ空の下――ナビル王国・城下町東地区。そこに、一軒の新しいレストランが静かに扉を開いた。レストラン《セリーナ》昼下がり、柔らかな陽光がガラス越しに差し込む。木の温もりを残した店内には、花の香りと焼きたてパンの香ばしさが溶け合っていた。「こんにちは、コビーさん。」扉の鈴が軽やかに鳴る。白い外套に身を包んだセリーナが、少しはにかんだ笑みを浮かべて立っていた。「あ! 王女さん! よく来てくれたね。ありがとう。さ、こっちこっち。」コビーは嬉しそうに手を振り、店の奥の特別室へと案内する。壁には彼の故郷の海を描いた絵が飾られ、窓際には季節の花が揺れていた。セリーナは店内を見渡し、ふわっと微笑んだ。「へぇ……すごく、きれいですね。」「ふふっ。ありがとう。僕のこだわり入ってるからね。王女さんには感謝だよ。こんな素敵な場所を……僕なんかのために。」セリーナは頬を緩め、少し照れたように笑った。「コビーさんの料理はほんとに美味しいんです。だから私もみんなに食べてもらいたい。みんなに笑顔になってもらいたいと思ったので。」「ふふっ。プリシアと同じこと言うんだね。」「プリシアさんと?」「うん。『コビーの料理は美味しいから料理屋やりなよ』って。嬉しかった。そう言われて。王女さんが願いを叶えてくれた。だから僕はナビルの人達を料理で笑顔にしてみせるよ。」セリーナは優しく微笑みながら頷く。 「はい。」二人の笑顔に、一月の冷たい風が、カーテンをやさしく揺らした。「今日はね……特別フルコース出すから楽しみにしててね。」「はい。」その時、奥から低い声が響いた。「セリーナ。久しぶりだな。」驚いて振り向くと、扉の向こうに懐かしい大柄な男の姿。 その肩には、長旅の埃がうっすらと残
セリーナが法令状をしまい、もう一枚の紙を静かに広げる。それは、王族にのみ許された絶対の書。《王族特権状》「王族特権状──この状は、いかなる法令であっても王族の名において棄却、または改定を行うことを許すものです。」ガットは息をのむように、セリーナを見上げた。「……読み上げます。」「王族特権状により、同日。セリーナ=ナビルの名において改定。」「法令による罪状は、すべて破棄。」「ガット=ローウェル、コビー=ハンクス──両名を無罪とします。」牢内に静寂が満ちる。 ガットは、涙を堪えきれず目頭を押さえた。「なお、身代金三千万ウィルは回収。改めて、ラスの村復興のための譲渡金として三千万ウィルを贈呈します。また、穀物の種五十種、苗三十種を合わせて送付します。」(お父様が…昨夜、私に言ってくれた。)──昨夜。「あやつの罪は、法的には裁かねばならない。国で決めたことだ。」セリーナは顔を横に振る。 ナビル王の目が、再び父の優しさを宿す。「……ただ、改定はできる。王族である私と、お前ならな。」「改定……ですか?」「ああ。それが“王族の特権”だ。」ナビル王はゆっくりと頷いた。「ガット=ローウェル、コビー=ハンクスの件──セリーナ、お前に任せる。」──そして、今。牢獄。(だから私は……)「以上すべての物を、ラスの村に──」(王族としてしかできないことを……)「譲渡いたします。」(私らしく……)「……以上です。ガットさん。これが今、私にできる精一杯のことです。」「ああ……充分だよ……」ガットは涙が止まらなかった。「……釈放します。」(あなたが気づかせてくれた……わたしにできること。)
前日の夜──。私室で泣いているセリーナ。「う…うぅ…」(私は…やっぱり何もできないんだ…)コン、コン……。セリーナは必死に涙を拭う。「はい。」「私だ。」その声はナビル王。「お父様……お入りください。」ガチャ……。そこにいたのは、いつもの王の目ではなく、優しい“父親”の目をしている王の姿だった。「お父様!ガットさんは!」「裁きは受けると言った。」「ダメです……お願いです……お願いですから…!」嗚咽混じりの声が部屋に響く。ナビル王は黙ってその場に立ち、やがて大きく息を吐いた。「セリーナ……お前にとって、ガットはどういう男だった?」「ガットさんは……私を……救ってくれた…… 私に笑顔をくれた人です。」「これは誘拐なんかじゃ……ありません……。」涙が頬を伝い、床に落ちた。ナビル王はしばし沈黙し、重く目を閉じたまま言葉を絞り出す。「すまなかった……セリーナ。」「え……?」「私は…お前が見えていなかった。ガットに教えられたよ。」「お父様……」「許してくれ……セリーナ。」涙で言葉が出なかった。そして──ガットの言葉を思い出す。(俺が王にガツンと言ってやる!)(俺は……お前を守りたい。)(ガットさん……)ナビル王の瞳が、ゆっくりと変わっていく。先ほどまでの“父”の優しさは消え、そこにあったのは──“王”としての冷静な目。「しかし、罪は罪だ。あやつもそれを覚悟していた。 罪は法的には裁かねばならない。」「国で決めたことだ。」
次の日──牢獄。冷えた石壁の部屋の中、ガットは硬いベッドに腰を下ろし、通路の天井に吊るされたランプの光をぼんやりと見つめていた。ガチャン……。遠くの鉄扉が開く音が響く。 かすかな話し声が続き、そして、ひときわ高く(遠く)「はっ!」という兵士の声。(遠く)「……してください。」(遠く)「わかりました。」(……セリーナ?)コツ……コツ……コツ……。革靴の音が近づいてくる。 角を曲がったその先に現れたのは、王女セリーナだった。「ガットさん。」「セリーナ……。」ガットはゆっくりと立ち上がる。セリーナは鉄格子の向こうからまっすぐに彼を見つめた。「ナビル王とは……和解できたか?」「……はい……。」「そうか……それはよかった。」短い沈黙。セリーナの瞳には涙が溜まりかけていた。「そういう顔をするな……。」ガットは小さく笑った。 「そういう顔をさせないために、俺は体を張ったんだがな。」「はい……。」しばらくの沈黙のあと、セリーナがそっと口を開く。「今朝……。」「?」「コビーさんが、身代金を返しにきてくれました。」「……コビーが……?」「身代金は全額返すから、ガットを返してくれと……。」「泣きながら……何度も……何度も……。」(あいつ……。)(コビー……結局お前まで巻き込んじまったな……。)──今朝。王城の前。朝の光を受け、石畳の広場に兵士たちの怒号が響く。「貴様らが王女を!」「身代金は返しますから!」「何を今さら! お前らは終わりなんだ!」「罪は消えないんだよっ!」押さえつけられ、コビーは殴られ、蹴られた。それでも、地面に倒れながら叫び続けた。